鉄鉢 / H17cm×W34cm
山田宗美 / 明治4年〜大正5年
大聖寺藩主に仕える刀剣鍛冶師の家柄に生まれた。幼名は羊太郎。
明治18年頃より父・宗光に師事し、象嵌、打出の技術を学び、同23年、3人の兄達が幼くして亡くなっていたため、10代長三郎を襲名、号を宗美とした。
宗美20歳の時、一枚の鉄板から彫刻的な立体造形をつくる<鉄打出>の技法を創案した。
鉄打出とは、一枚の極薄い鉄板を、均一の厚さを保ちながら、金鎚を使って、打ちのばし、打ち絞り、精巧な立体造形をつくりだす宗美独自の鍛金技法である。
作品の数々は内外の展覧会で入賞を重ね、宮内省ご用品、海外美術館収蔵品となるなど、山田宗美は明治期の美術工芸界に偉大な足跡を残した芸術家の一人といえよう。
宗美は、当時の芸術家として最高名誉であった帝室技芸員に地方人として初めて内定されながら、実現を見ず44歳の若さで生涯を閉じた。
|